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教典(抄)を熟読して信心生活しましょう
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~ 今日のみ教え~
自分のことは次にして 人の助かることを先にお願いせよ

を助けるのが間である。間は、子供がころんでいるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちているのを見て、すぐに引き上げてやることができる。間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、を助けることができるのは、ありがたいことではないか。牛馬その他の動物は、わが子が水に落ちていても引き上げることはできない。間が見ると、助けてやれる。牛馬や犬猫の痛い時に間が介抱して助けてやることは、だれでもあろう。間は病苦災難の時、神やに助けてもらうのであるから、の難儀を助けるのが間であると心得て信心をせよ。

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~ 今日のみ教え~
たとえ人にたたかれても けっして人をたたいてはいけない

どの宗教を信じていてもくさすことはない。みな、天地金乃神のいとし子である。あれこれと宗教が分かれているのは、たとえば同じ親が産んでも、大工になる子もあり左官になる子もあり、ばくちを打つ子もあり、商売好きな子もあるというようなものである。宗教が分かれているといっても、はみな神の子で、それぞれに分かれているのである。そばの好きな者や、うどんの好きな者があり、私はこれが好きだ、わしはこれが好きだと言って、みな好き好きで成り立っているのであるから、くさすことはない。

~ 今日のみ教え~
すれ違った人でも拝んであげよ

玉磨かざれば光なし、光らなければ石かわらのごとし、と言われているが、信心する者は本心の玉を磨かなければならない。鉄でも磨けば銀のように見える。金銀も磨かなければ光らない。間は万物の霊長であるから、本心の玉を磨いて、何事にも心がけをよくしなければ、自分は信心していると思っていても、はそう見て敬ってはくれない。それは、身勝手な信心というほかない

~ 今日のみ教え~
みなも金光大神のとおりにおかげが受けられる

のおかげで生まれてきた人間であるから、死ぬのものおかげでなくて死ねるものか。そうであるから、生まれたのがめでたいなら、死んでになるのは、なおのことめでたいではないか。死ぬのがつらいと言うのは、まだ、死ぬのをいとわないだけの安心ができていないからである。信心して、早く安心のおかげを受けておかなければならない。のお計らいでは、いついくかも知れないのに、その際のうろたえ信心では間に合わない。平生から、まさかの折にうろたえないだけの信心をしておかなければならない。

~ 今日のみ教え~
金光大神は無学でも みなおかげを受けている

無学で人が助けられないということはない。学問はあっても真がなければ、人は助からない。学問が身を食うということがある。学問があっても難儀をしている者がある。金光大神は無学でも、みなおかげを受けている。

 



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