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教典(抄)を熟読して信心生活しましょう
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~ 今日のみ教え(8/22) ~
信心とは 常日ごろ 神の心のようになるのが信心である

人を殺さないと言っても、心で人を殺すのが重大な罪である。人を鉄砲でうったり、刀で切ったりしなければ、私は人を殺してはいないと言うが、それは目に見える。目に見えない心で人を殺すことが多い。それが神の心にかなわないことになる。目に見えて殺すのは、お上があってそれぞれの仕置きにあうが、心で殺すのは神がおとがめになる。心で殺すとは、病人でも、これは大病でとても助からないなどと言うが、これが心で殺すことになる。人間の心では、助かるか助からないか、わかりはしないであろう。また、あの人は死ねばよいと言ったりもする。それがみな心で殺すのである。そうではなく、どうぞ向こうが改心しますようにと、神に祈念してあげよ。


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~ 今日のみ教え(8/21) ~
非常と平常とにかかわりなく神に願いをかけよ

信心は何を目的にすればよいか。病人は痛いのを治してもらいたいと願い、健康な者は、作物がよくできるようにとか、商売が繁盛するようにとか願って参るが、それは一時のことである。信心は、末の安心を楽しみにしないと続かない。末の安心のためには、自分一人がおかげを受けただけではなく、子孫に伝わる信心をすることが大切である。家庭が円満で、主人が信心しなければ、子孫には伝わらない。痛いのを願うのは信心の糸口ではあるが、それだけでは、治ればお礼参りをして、その後は参らないことになる。自分の心を改めて、よい子供を得ることを、信心の第一の目的としなければならない。一代の信心は神が喜ばれない。


~ 今日のみ教え(8/20) ~
神があっての人間 人間があっての神である

神のおかげで生まれてきた人間であるから、死ぬのも神のおかげでなくて死ねるものか。そうであるから、生まれたのがめでたいなら、死んで神になるのは、なおのことめでたいではないか。死ぬのがつらいと言うのは、まだ、死ぬのをいとわないだけの安心ができていないからである。信心して、早く安心のおかげを受けておかなければならない。神のお計らいでは、いついくかも知れないのに、その際のうろたえ信心では間に合わない。平生から、まさかの折にうろたえないだけの信心をしておかなければならない。
~ 今日のみ教え(8/19) ~
神は 夢にでも良し悪しを教えてくださる

人が人を助けるのが人間である。人間は、子供がころんでいるのを見て、すぐに起こしてやり、また水に落ちているのを見て、すぐに引き上げてやることができる。人間は万物の霊長であるから、自分の思うように働き、人を助けることができるのは、ありがたいことではないか。牛馬その他の動物は、わが子が水に落ちていても引き上げることはできない。人間が見ると、助けてやれる。牛馬や犬猫の痛い時に人間が介抱して助けてやることは、だれでもあろう。人間は病苦災難の時、神や人に助けてもらうのであるから、人の難儀を助けるのが人間であると心得て信心をせよ。
~ 今日のみ教え(8/18) ~
手厚く信心をする者は夢でもうかつに見るな

病気災難があったからといって、にわかに信心を始めるよりは、ふだんから手厚く信心しておれ。手厚い信者であれば、神から心配してやる。いかに大病とか九死とかいう病気でも、峠を越えさせて全快させてやる。とかく信心の地を肥やしておけよ。


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