|
教典(抄)を熟読して信心生活しましょう
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
~ 今日のみ教え(7/28) ~
どんなに不自由なことがあってもけっして不足を言うな 「しばらくの間、山に入って修行させていただきとうございますが、いかがなものでしょうか」と申しあげると、金光様は、「山に入ったら、どのようにして修行をするのか」とたずねられた。「山に入ると、はじめは麦粉を練った団子で命をつなぎます。それをしばらく続けると、次には木の実や木の葉で生きられるようになります。またしばらくすると、ついには水ばかりで生きられるようになってまいります」と申しあげると、「いったい、どんな山に入るのか」と仰せになったので、「なるべく深い山に入って、浮き世を逃れるつもりでおります」と申しあげた。金光様は、「それは結構である。しかし、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう」と仰せられた。 PR
~ 今日のみ教え(7/27) ~
心の中に山をこしらえて その中で修行をしたらそれでよい 「しばらくの間、山に入って修行させていただきとうございますが、いかがなものでしょうか」と申しあげると、金光様は、「山に入ったら、どのようにして修行をするのか」とたずねられた。「山に入ると、はじめは麦粉を練った団子で命をつなぎます。それをしばらく続けると、次には木の実や木の葉で生きられるようになります。またしばらくすると、ついには水ばかりで生きられるようになってまいります」と申しあげると、「いったい、どんな山に入るのか」と仰せになったので、「なるべく深い山に入って、浮き世を逃れるつもりでおります」と申しあげた。金光様は、「それは結構である。しかし、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう」と仰せられた。
~ 今日のみ教え(7/26) ~
食べて飲んで体を大切にして信心をせよ 食事をする時に、このくらいでよいと思う時が、天地の親神のご分霊が分限を定められる時である。それが体に合う量である。それを、もう一杯、また一杯と、我食い、我飲みして病気になる人もあるが、これは神へ対し無礼ではないか。また、食べ過ぎ飲み過ぎして、嘔吐をする者もあるが、これもよくない。信心する人は神の守りを心にかけており、万事不都合のないようにするのが信心である。飲食も無理に強いるのは親切ではない。国のため、人の身のため、わが身の上も思い、万事を粗末にしないような、真の信心をするがよい。
~ 今日のみ教え(7/25) ~
食わずの行をするのは 金光大神は大嫌いである 水をかぶって行をするというが、体にかぶっても何にもならない。心にかぶれ。寒三十日の水行をするといっても、それは体を苦しめて病気をこしらえるようなものである。家内や子供の病気のために水をかぶって、一週間日参をしても治らなければ、自分の体に傷がつくだけである。水をかぶったから真である、水をかぶらないから真がないとはいえない。食わずの行をするのは、金光大神は大嫌いである。食べて飲んで体を大切にして信心をせよ。
~ 今日のみ教え(7/24) ~
物事の不自由を行とせよ 「しばらくの間、山に入って修行させていただきとうございますが、いかがなものでしょうか」と申しあげると、金光様は、「山に入ったら、どのようにして修行をするのか」とたずねられた。「山に入ると、はじめは麦粉を練った団子で命をつなぎます。それをしばらく続けると、次には木の実や木の葉で生きられるようになります。またしばらくすると、ついには水ばかりで生きられるようになってまいります」と申しあげると、「いったい、どんな山に入るのか」と仰せになったので、「なるべく深い山に入って、浮き世を逃れるつもりでおります」と申しあげた。金光様は、「それは結構である。しかし、何もわざわざそんな不自由な山に行かなくても、心の中に山をこしらえて、その中で修行をしたらそれでよい。自分が山に入った心になっていれば、どんなに不自由なことがあっても、また家内のこしらえたものがまずくても、けっして不足を言うことはないであろう」と仰せられた。 |
カレンダー
フリーエリア
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
アーカイブ
アクセス解析
アクセス解析
|